日本大百科全書(ニッポニカ) 「吾妻徳穂」の意味・わかりやすい解説
吾妻徳穂
あづまとくほ
(1909―1998)
日本舞踊吾妻流宗家。東京生まれ。本名山田喜久栄。父は15世市村羽左衛門(うざえもん)といわれ、母は藤間政弥(まさや)。母や7世坂東三津五郎(みつごろう)らに師事。14歳で藤間春枝を名のる。1924年(大正13)帝劇女優養成所に入り、1930年(昭和5)舞踊家として出発。「春藤会」を発足させ、新舞踊運動のスターの一人として活躍した。中絶していた吾妻流を1933年に再興、吾妻春枝となり、1942年、徳穂と改名。華麗な舞台、芸風で知られた。1954年にアズマカブキのアメリカ公演、1955~1956年に欧米公演を行い、本格的な日本舞踊初の海外公演として大きな足跡を残した。1965年から「徳穂の会」を始め、『赤猪子(あかいこ)』『藤戸の浦』などの秀作を発表。1978年孫の徳彌に家元を継承させ、宗家となる。1985年、日本舞踊の興行化を目ざして「をどり座」の第1回公演を行い、第8回まで続けた。1991年(平成3)文化功労者。
[如月青子]
『吾妻徳穂著『おどり』(1967・邦楽と舞踊出版社)』▽『吾妻徳穂著『踊って躍って八十年』(1988・読売新聞社)』