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三河国(愛知県)の城下町。東海道の宿駅。戦国の武将牧野氏がこの地に今橋城を築いて職人を招き,社寺を勧請してから発展し,一説では1522年(大永2)牧野信成が今橋城を改めて吉田城と称したという。吉田城は東から今川氏,西からは松平氏,それに田原の戸田氏の進攻の前に幾度か戦火にさらされたが,豊臣秀吉の命によって池田輝政が15万石余で入封すると,城郭を築き,豊川の治水に努力し,町並みを整備するなど,本格的な城下の建設に着手した。江戸幕府創設後は譜代大名の交替が相次いだが,歴代藩主の努力もあって城下町として発展した。城下は北に豊川を背にして本丸,二の丸などの城郭があり,その外側に侍屋敷が三方から城を囲むかたちで配置され,この外側に総堀を隔てて町方が展開した。町方は東海道に面する船町,田町,坂下町,上伝馬町,本町,札木町,呉服町,曲尺手町,鍛冶町,下(しも)町,今新町,元新町の表通り12町と,天王町,萱町,指笠町,御輿休町,魚町,垉六(ほうろく)町,下り町,利(とぎ)町,紺屋町,元鍛冶町,手間町,世古町の裏通り12町,計24町からなっていた。なかでも南面する城の大手門に接する札木・呉服町付近が中心街で,札木町には本陣,脇本陣,旅籠(はたご)が並び,東海道や信州とを結ぶ伊奈街道を往来する人々でにぎわった。また,船町は三河湾や豊川による水運の基地としての機能を果たしていた。戸数は年によって変動するが約1000軒前後,人口は1712年(正徳2)に7219人とある。1869年(明治2)版籍奉還の際,豊橋と改称したのは豊川にかかる橋の名によるといわれる。
→吉田藩
執筆者:吉永 昭
静岡県南部,榛原(はいばら)郡の町。人口2万9815(2010)。大井川河口西岸に位置し,南は駿河湾に面する。北部の牧ノ原台地から中央部の平地を湯日(ゆい)川が南流し,駿河湾に注ぐ。台地は茶畑に,散居集落の多い平地部は水田に利用されている。大正期以来,駿河湾に面する南部の川尻を中心に,扇状地末端の豊富な地下水を利用してウナギの養殖が行われる。また吉田漁港では,白子(しらす)を主としてカツオ,キス,イカなどが水揚げされる。1969年東名高速道路吉田インターチェンジが開設され,在来の漁網,織布生産のほか,食品加工などの工場が進出している。能満寺の大ソテツは国の天然記念物。
執筆者:萩原 毅
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
化学式 CH4 。最も簡単なメタン系炭化水素で,天然ガスの主成分をなしている。また石炭ガスにも 25~30%含まれる。有機物の分解,たとえばセルロースの腐敗,発酵の際に生成され,沼気ともいわれる。また...
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